イデヤっ子2022年4月号 ~ SDG”s 宣言!~
社内の風景 ~ SDG”s 宣言!~
取引先の京都銀行様がSDG”sの認証及びサポートをされています。弊社が行っている「木材の活用」に着目して頂き、宣言書取得のご提案を頂きました。
専門の方が現場調査や就業規則の確認をされ、宣言書の交付が決定されました。
弊社の実状から、今後は以下の3項目について推進していく事になりました。
(1)脱プラスチック
既に基本構造は確立しています。
今後はより効率の良いモノづくりを
進め、お客様への供給速度や量を上げ
ていき、環境に貢献する必要がありま
す。
(2)回収システム
お客様からも回収システムのご要望
を頂戴しており、宣言項目として掲げ
ることにしました。今後の大きな課題です。
と言いますがの、木材とFRPの廃棄処分は、塩ビと比較しても
大きく省エネに貢献するからです。
(3)多様な社員の有効活用
現時点における、弊社の男女比率と年齢分布です。
編集者のひとり言 ~ 戦国武将の墓に思う ~
弊社の東を流れる木津川。この川を10km程北上すると
「飯岡の舟渡し」と言う場所があります。
ここは本能寺の変の後、大阪の堺に滞在していた徳川家康が、明智光秀の襲撃を恐れ、逃亡したルートの通過点であり、現在の京都府京田辺市内、木津川の西岸地区に位置しています。この飯岡に古い墓地があり、その中に、かの戦国武将「穴山梅雪」の墓があります。家康に同行し、逃亡のシンガリを務めた梅雪が、この地の土民に殺された事から、墓が建てられています。
穴山梅雪は元々、武田信玄に使えた武将であり、
武田二十四将のひとりに名前を連ねています。しかしながら、勝頼の代で織田家に寝返った事から、裏切り者として評判がよくありません。
この梅雪が身近に仕えた武田信玄は、風林火山の旗印の通り、稀に見る戦上手でした。
家康は三方ヶ原で惨敗し、織田信長は信玄の上洛に心底震え上がったと聞きます。この武田軍の強さの一つは、信玄の家臣に対する高い人心掌握術にありました。各家臣の特徴に応じ、実にきめ細かい対応をし、信頼関係を築いた様子です。
こうした信玄を間近に見ていた梅雪ですので、武田家を裏切ると言う事が、どれ程リスクのある事か、重々理解していたはずです。それでも決断したのは、やはり“生き残るための変化”と言う事だったのでしょう。
現在のビジネスでも、変化する事は非常に重要な事です。一方で、人には感情があり、それを無視した言動は、信頼を根底から失い、組織の崩壊になりかねません。ですので、これらのバランスが非常に大切です。
織田や家康に仕えた後、梅雪はその事にようやく気付いたのかもしれません。故に信頼回復を願っての、シンガリだったのでしょうか?
墓を前にして、一度失った信用を取り戻す難しさを、改めて考えさせられました。
梅雪も同じ思いで、この地で命果てたのかもしれません・・・
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